海外で育つ日系の子どもたち:継承語としての日本語教育1/3


海外在住の子供たちの継承語教育(日本語教育)

今日は『継承語教育』=『海外在住の子どもたちの日本語教育』について少しだけ経験談を綴ってみたいと思います。

「家で日本語話してたら子どもも話せるようになるだろう」
という淡い期待

子どもが生まれた頃は、「まぁ、私が家で日本語話せば、子どもも日本語は話せるようになるだろう」くらいの気持ちでおりました。

一方で自分自身がカナダ人に日本も教えていたので、日本語学校に来ている子供たちを見ながら、「もしかしたら継承後教育って実は思ってるより大変なのかも」とも思っていました。

でも本当に、うっすらとだけ。

それもそのはず。日本語学校に来ていた子どもたちの多くは、日本で育つ子どもたちとほとんど変わらないくらい日本語が上手だったし、漢字もすらすら読めていたし。

でもそれがどれだけの【計画性】と【努力】と【協力】の上に成り立っていたのかを知ることになるのに、そう時間はかかりませんでした…

プレスクール時代:「日本にいたら普通知ってる」ことに慣れさせる

上の子の場合。

生後1カ月半で、私は週1回教職に戻りました。そして生後10カ月から託児所へ入れ、フルタイムで教職に戻りました。

託児所はもちろん英語だったのですが、生後10ヶ月なので言葉がどうというよりも慣れない環境に大泣きし、それをなだめながら毎日託児所へ連れて行くほうが大変でした。

1歳半くらいで突然「しゃい?しゃい?」と言い始め、どういうい意味だろうと思いながら状況から判断して、What’s this?ということに気づいた時は少し微笑ましく思いました。また、託児所にスペイン語を話す先生がいらっしゃったこともあって、突然「あーぅあ、あーぅあ(agua)」と言いながら水をほしそうにした時は、子どもって本当になんでも「状況=音」で吸収してるな、と実感したものです。

それでも家ではずっと日本語で話しかけ、日本語の番組や映画も見せ、日本語で本も読んでいたので、日本語でのコミュニケーションに不自由はしませんでした。

3歳で現地の日本語学校に行かせ始めたのは、日本語をもっとしゃべってほしい、というよりも、もっと日本語っぽい表現に触れてほしい、日本っぽい遊びを体験させたい、日本では普通こうするという行動文化を身につけさせたい、という気持ちの方が大きかったのを覚えています。

例えば、じゃんけんにグーチョキパーがあることを知っているだけではなく、(なぜか)だいたい「最初はグー!」から始まるんだよ、ということを知っていてほしいとか。

別れ際にさようならと言うことを知っているだけではなく、学校が終わったら「先生さようなら、みなさんさようなら」って斉唱するんだよ、ということを知っていてほしいとか。

自分の名前が言えるだけではなく、みんなの前で自己紹介する時は「わたしは◯◯ちゃんです」ってちゃん付はしないんだよ、ということを知っていてほしいとか。

コミュニティの中でごく自然に体得して当たり前になっていることを、学校で触れていってほしいなと思ったのです。

あとはもちろん、「日本でみんなよく知っている歌やお話にもっと触れさせたい」というのもありました。おかげで現在では、岡山のお土産きびだんごを見て「桃太郎が食べてたやつ!食べたかったんだ!」と一応つながってくれています。

日本語学校のプレスクールでは、こういったことをふんだんに経験させていただき、『エビカニクス』も踊り(笑)、『ドコノコノキノコ』も歌い、先生の話し方、同じ年代のお友だちの話し方、というのにも触れるいい機会だったと思っています。

小学校低学年:とりあえず日本語学校に土曜日通学!

カナダでは5歳になる年の9月から、小学校が始まります。日本でいういわゆる「ピッカピッカの1年生!」がカナダでは「キンダー生(幼稚園生)」となるわけです。ここからグレードがK→1→2→3→4・・・とグレード12まで上がっていきます。

上の子は実際、かなりの割合で家庭では日本語を使っていました。そのせいか、5歳で現地の小学校に入学した2週間後に先生から、「英語の補習レッスンを受けますか?」というお知らせが来たくらいです。教室で話されている英語がまだはっきりとわかっていなかったのでしょう。ただ、私も主人もこの子が生まれたときからいろんな面でバイリンガル教育を心がけるようにしてきたつもりだったので、先生には「あと1〜2ヶ月待ってください」という返事をしました。

私自身第二言語教育を研究してきた身でもあるので、一応これまで心がけながらこの子に試みてきた言語体験や、子どもの現在の年齢などを考えて、1〜2ヶ月で英語も問題なくハンドリングできるようになるはず、とみていました。

9月に入学。そして10月末のハロウィーン。

ほんの2ヶ月足らずで、英語の問題は完全になくなりました。もちろんその後、子どもの英語力に関して先生からお知らせをもらうこともありませんでした。

このように5歳になって普通に小学校へ通い始めると、子どもに英語がどんどん入っていきます。その波はunstoppableです。そんな中での日本語学習。

キンダーに入ると月〜金は普通に小学校へ通い始めるので、日本語学校へは「平日の放課後」もしくは「土曜日」に通うことになります。小学校も低学年の間はまだ現地校もそんなに忙しくないけれど、高学年になって学校の宿題も増えていくであろう中、毎週日本語学校へも行って、宿題もやって…ってできるかしら。

そう思って、子どもと第1回目の家族会議を開きました。

「日本語学校の小学校に一旦入ったら、6年生の卒業までは頑張って行ってほしいと思っているんだけど、こっちの小学校に行く中で6年間頑張れるかな?」

子どもがどこまで理解していたかはわかりませんが、ああ、なんか大変なのかもな、ということは伝わったかな、と。ただこの時点では「ランドセルを買ってもらう」ことを条件に、6年間は頑張るという気持ちの確認をしました。

小学校低学年の間は日本語学校の内容もそれほど難しくなく、引き続き家庭でも日本語を話し続けていたので、教科書を読んでもほとんどが「聞いたことがある言葉」だったと言うこともあり、比較的スムーズにこなしていけてたように思えます。

漢字も少しずつ導入されましたが、まだまだ画数の少ないものばかりなので、絵を描く延長、という感じで取り組んでいたようです。

そしてやってくる、天下分け目の3年生がやってきたのです・・・

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    2 Responses to “海外で育つ日系の子どもたち:継承語としての日本語教育1/3”

    1. […] カナダ・バンクーバーに移住して20年以上になる私が、子どもの日本語学習とどう向かい合っているかーーあくまでも私の個人的な経験だけですが、書き留めております。海外で育つ日系の子どもたち:継承語としての日本語教育1/3はコチラ👈海外で育つ日系の子どもたち:継承語としての日本語教育2/3はコチラ👈 […]

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