私にとって「海外に住む」ことは「かっこいい」ことではなかった


「海外移住」の心情

久しぶりにぐっとくる映画をみました。ガツン!ではないけど、ググゥー…っといろいろしみてきました。
It grows on me.
映画のタイトルは “Brooklyn” (2015)。

1950年代。
まだ外国が遠かった時代。
アイルランドからアメリカへ渡った若い女性のお話です。
細かいあらすじはこれ以上は書きませんが (because I don’t want to spoil it!)、

新天地に対する大きな希望と期待。
生まれた国を離れる痛み。
新境地に馴染めない苦しみ。
同郷の者が集まって助け合う温かさ。
故郷への募る思い。

今こそLINEですぐに日本の家族と顔を見ながら話せる時代ですが、20年前、私がカナダに来ると決断した時は、もう少し「遠く」感じたものです。1950年代ならなおさらでしょう。自分も今こうして海外で暮らしているからこそ、グッと感じたのかと思いました。

カナダ移民を目指す日本人

パンデミック後は特に、カナダに移住しようという日本人の数が増えているように思えます。
自分のキャリアを生かして移民を目指す方。
ご家族で移住を果たされる方。様々です。
カナダに来る日本人の多くがきっと、海外生活に対する大きな期待を抱いているのではないかと思います。日本とは異なる生活の様々な側面を気に入って移民を決断される方も多いでしょう。私もカナダに住んでいて、いいなと思うことはたくさんあります。比較的過ごしやすい天候もそうですが、家の作りや、人とのコミュニケーションや、働き方や、子供の教育や。

けれども全てがバラ色かというと、もちろんそうではありません。
特に、移住したての頃を思い出すと、
全く期待した通りの生活にはならず、
打ちのめされることばかりで心はいつも曇空。
理想と現実のギャップに苛まれるが、
誰のせいにもできず、
逃げ出すこともできず。

私のカナダ生活はこうして始まったのです。

日本の嫌な部分もあるけれど、それでも住み慣れた文化を去ったことが、少し後になってずきずきと痛み始めたことも覚えています。そんな時、日本人社会の集まりで、知らない人同士でも互いに支え合った温かさも覚えています。

二つの国に住むということ

久しぶりに日本に帰国すると、あの、なんとも言えない心地よさ。

成田空港でペットボトルの水を買っただけなのに、一万円札しかなく、「すみません、大きいのしかなくて…」とおずおずと差し出したら、【偽札チェッカーいかけることもなくスッと受け取り、9000円以上のお釣りを笑顔で返してくれた】定員さんに、感激すらしました(当時のカナダでは、100ドル紙幣の偽札が出回っていたこともあり、多くのお店で100ドル札は使えなかったり、使えても、本物がどうかジロジロ見られたり機械にかけられたりしていたのです)。

けれども数日経つと、突然カナダの自分の家に帰りたくなるおかしな衝動に駆られ始める不思議さ。

私は、二つの国の「どちらつかず」なのだろうか。
それとも「両方の国に住んでいる」のだろうか。
カナダで生まれた自分の子供達にも、時々そんな話をし始めているところです。

1950年代のアメリカに渡ったアイルランド人のお話しではありましたが、インターネットでどこででも誰とでもつながる現在でも、人の心の動きは実は変わっていないのかもしれないなと思いました。

派手なCGがあるわけでもなし、予想外のどんでん返しがあるわけでもないのですが、心の奥にじわっとくる、そんな映画を見た夜でした。

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